どこかの国に行くときは、その国の歴史を知っておいた方が、観光が充実したものになります。
歴史と観光名所がつながっていると、何も知らないのとに比べ、理解が深まりまるからです。
特に、カンボジアに行く時は歴史を学んでいくべきだと思います。
なぜなら、カンボジアでは、カンボジア人が同じカンボジア人を殺した大量虐殺という悲惨な歴史のある国で、そのことが分かる観光名所があるからです。
ポル・ポトに関連するカンボジアの悲惨な歴史
カンボジアの歴史は、アメリカやフランス、ベトナムなどの他国の影響を受けたり、政治的考えが関わっているので、簡単には説明できませんが、大量虐殺が起こった「ポル・ポト政権時のこと」だけ説明します。
原始共産主義を掲げた結果、大虐殺につながった
カンボジア内戦の結果、ロン・ノル政権を破ったポル・ポト政権は実権を握りました。
そして、すぐに都市部にいた人達を強制的に農村部に追いやりました(農業に従事させるため)。
ポル・ポト率いるクメール・ルージュという政党は、「原始共産主義(階級や格差の全くない原始時代の状態に戻そうとする考え)」を掲げました。
「知識は人々の間に格差をもたらす」という考えから、「国を指導する我々以外の知識人は自国には不要」と考えにつながりました。
すべての知識人を集めるために、農村部に追いやった人達や、留学や仕事で国外へ行っていた人たちに向けて「国の再興のために、医者や教師、学生だった人は名乗り出してほしい」と布告を出しました。
該当する人は名乗り出て、トラックで処刑場に運ばれ、殺されました。
この知識人狩りは次第にエスカレートしていき、
- 本を読んでいるから
- 海外に行ったことがあるから
というようなめちゃくちゃな理由で知識人だとされ、殺されるようになりました。
そのようにして、カンボジア国内から知識人(と思われた人)は次々と殺されていきました。
大人と違い、何も知らない子ども達は
- 悪質な思想に染まってない
- 原始共産主義を良く理解する
という理由からポル・ポトは、積極的に社会的な役割(兵士、看守、医者など)に就かせました。
その結果、子どもが大人を監視し、殺すというおかしな状況を生みました。
また、医療をたった数ヶ月だけしか勉強してない子ども医者による治療が行われ、それにより、状態が悪化し、死に至るということが悲惨な状況が起きていました。
大虐殺の結果
後に、カンボジアから亡命した人々で結成された軍隊とベトナム軍の軍隊でポルポト政権を攻め、1979年に首都プノンペンを陥落させました。
この時ポルポトから解放された国民の85%が14歳以下だという事実があります。
ポル・ポト率いるクメール・ルージュが実権を握っていた1975年から1979年の4年間の間に、上記のような虐殺の他に、干ばつ、飢餓、疫病などで、200万人〜300万人(正確な数字は不明)のカンボジア国民が亡くなったとされています。
カンボジアで戦争の悲惨さを学べる場所
カンボジアの首都「プノンペン」では、キリングフィールドやトゥール・スレン刑務所(トゥールスレン虐殺博物館)が有名です。
キリング・フィールドでは、実際にたくさんの人が処刑された場所で、手持ちの端末を通して、日本語の音声を聞きながらまわることができます。
キリングフィールドの場所
トゥール・スレン刑務所は、たくさんの人が収容されていた場所で、当時使われたものや、写真なども展示されています。
トゥール・スレン刑務所の場所
カンボジアの第二の街「シェムリアップ」には、地雷博物館「アキ・ラー地雷博物館」などがあります。
カンボジアの観光名所として一番有名なアンコールワットは素晴らしいですが、戦争の悲惨さを学ぶ場所に行くことも意味があると思います。
アキ・ラー地雷博物館の場所
カンボジアの悲惨な歴史まとめ
カンボジア人のキラキラした笑顔の裏にある、とても悲惨な歴史。
カンボジアに行くときにその歴史を知って行くのと、知らないで行くのとでは全然違ってきます。
「楽しい」だけの旅もいいですが、時には歴史を学ぶための旅もいいと思います。
カンボジアに行くときは、カンボジアの歴史を勉強して行くことをオススメします。
カンボジアのポル・ポト政権のことを映画作品もあります。